2009年06月19日

サットンが提唱した染色体説がそのまま

サットンが提唱した染色体説がそのまま受け入れられたわけではないが、遺伝学的研究により、その内容は正しいと認められた。しかしその後、遺伝子の実体に関する探究は研究手法などの限界もあり、しばらく下火となる。モーガンはノーベル賞受賞講演において遺伝子の物理的実体にはあまり関心が払われていないことを指摘している。

遺伝子の実体が DNA であることが明らかにされるには、生化学や構造生物学の発展を要し、さらに10年ほどが経過する。またその間、分子生物学発展の駆動力となったファージの遺伝学でも染色体説に基づいた研究が行われた。生化学的、分子遺伝学的研究から染色体は DNA とタンパク質から成っていることがわかり、その後、生化学的、分子生物学、生物物理学的に遺伝子の物理的実体が DNA であることが明らかにされた。
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現在の生物学・医学では染色体説は当然の前提として扱われ、遺伝学の基礎として教えられるが、実際の研究においては科学史的な観点以外では意識されない。

年表 [編集]
1842年: カール・ネーゲリが染色体を発見。
1865年: グレゴール・ヨハン・メンデルによる遺伝の法則の発表。
1892年: ヴァイスマンが生殖質説を提唱。
1898年: ウォルター・S・サットンが修士課程の学生としてマクラング(カンザス大学)の研究室へ。
1900年: サットンがウィルソン(コロンビア大学)の研究室へ。
1900年: ド・フリース、チェルマク、コレンスらによるメンデルの法則の再発見。
1901年: マクラングがバッタで性染色体を報告。
1902年: サットンがバッタの減数分裂における染色体の挙動を報告、ここから遺伝の染色体説を提唱。
1903年: サットンはさらにこの説を明確に主張する論文を発表。
1904年: モーガンがコロンビア大学へ。
1905年: ネティ・スティーヴンズが甲虫コクヌストモドキで性染色体を報告。ウィルソンもハエやバッタで確認。
1906年: ベイトソンによって遺伝学 Genetics という言葉が作られる。
1908年: スティーヴンズがショウジョウバエでX染色体を確認。
1909年: ヨハンセンによって遺伝子(独: Gen, 英: Gene)という言葉が作られる。
1910年: モーガンの研究室でショウジョウバエの最初の突然変異体 white が発見される。
1910-20年代: ショウジョウバエ遺伝学による実証。
1914年: ボヴェリが「発癌の染色体説」を提唱。
1933年: ペインターが双翅目昆虫の唾液腺で多糸染色体を発見。
1933年: モーガンがノーベル生理学・医学賞を受賞。

2009年06月01日

阿片戦争は清側の敗戦であったが

阿片戦争は清側の敗戦であったが、これについて深刻な衝撃を受けた人々は限られていた。北京から遠く離れた広東が主戦場であったことや、中華が夷狄(いてき:異民族)に敗れることはまま歴史上に見られたことがその原因である。しかし一部の人々は、イギリスがそれまでの中国の歴史上に度々登場した夷狄とは異なる存在であることを見抜いていた。たとえば林則徐のブレーンであった魏源は、林則徐が収集していたイギリスやアメリカ合衆国の情報を委託され、それを元に『海国図志』を著した。「夷の長技を師とし以て夷を制す」という有名な一節は、これ以後の中国近代史がたどった西欧諸国の技術・思想を受容して改革を図るというスタイルを端的に言い表したことばである。この書は東アジアにおける初めての本格的な世界紹介書であった。それまでにも地誌はあったが、西欧諸国については極めて粗略で誤解に満ちたものであったため、詳しい情報を記した魏源の『海国図志』は画期的であったといえよう。
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アヘンの輸入量は1800~01年の約4500箱(一箱約60kg)から1830~31年には2万箱、アヘン戦争前夜の1838~39年には約4万箱に達した。このため1830年代末にはアヘンの代価として清朝国家歳入の80%に相当する銀が国外に流出したという。こうした銀の大量流出は国内の銀流通量を著しく減少させ銀貨の高騰をもたらした。乾隆時代には銀1両(約37g)は銅銭700~800文と交換されていたが、1830年には1200文となり30年代末には最大で2000文に達した。地丁銀の税額は銀何両という形で指定されるが農民が実際に手にするのは銅銭であったから納税の際には銅銭を銀に換算しなければならなかった。したがって銀貨が倍に高騰するということは納税額が倍に増えることに等しかったのである。

阿片戦争における清朝の敗戦は、清の商人によって、いち早く幕末の日本にも伝えられ、大きな衝撃をもって迎えられた。以前より蘭学が発達していた日本では、中国本土よりも早くこの戦争の国際的な意味を理解し、危機感を募らせた。そのため先にあげた魏源の『海国図志』もすぐに日本に伝えられている。幕末における改革の機運を盛り上げる一翼を、この阿片戦争から生まれた書物が担っていたのである。それまで異国船打払令を出すなど強硬な態度を採っていた幕府は、この戦争結果に驚愕し、薪水給与令を新たに打ち出すなど欧米列強への態度を軟化させる。この幕府の及び腰が、やがて明治維新という大きな流れとなり、日本を近代国家へと生まれ変わらせる事となる。

2009年04月29日

神道 分類

皇室神道 - 皇居内の宮中三殿を中心とする皇室の、すなわち天皇家の神道である。
神社神道 - 神社を中心とし、氏子・崇敬者などによる組織によって行われる祭祀儀礼をその中心とする信仰形態である。
教派神道(神道十三派) - 教祖・開祖の宗教的体験に基づく宗教。他の神道とは少し性質が異なる。
古神道 - 「民間神道・民俗神道」や原始神道・縄文神道・古道(中華文明の原始儒教も同意であるがここでは除く)とも呼ばれ、日本で古くから民間で行われてきたものや、修験などの古神道と習合した密教や仏教、あるいは道教の思想を取り入れた古神道などの信仰行事をいう。また、明治時代以降に古神道だけを取り出し、新たな宗派として設立されたものとしての復古神道に分類できる。
今日、単に「神道」といった場合には神社神道を指す。

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また、何に重きを置くかによって、

社人神道 - 儀礼を中心とする。
学派神道 - 教学を中心とする。
に分けられる。

なお、「国家神道」は特に1868年の王政復古の大号令から第二次世界大戦終結までの日本における国家の支援の下に行われた神道を指す名称である。教派神道の「『神道各派』から区別された神ながらの道は、とくに国家神道とも呼ばれるが、法律家や行政実務家は、以前からそれを神社と呼ぶのが例」[1]であり、戦前には単に「神社」と言えば国家に管理された「国家神道」のものを言った。現在では政教分離が進んで「神社」の語義が変化しており、「国家神道」を単に「神社」と称することはなくなった。また、「国家神道」の語をGHQによる捏造とする謬説については「国家神道」参照。

また、次のような分類もされる。

祭り型神道
宮中神道…宮中の祭祀
神社神道…通常の神社の祭祀
古神道…道祖神・田の神・山の神・竈神など
陰陽道系…土御門神道・いざなぎ流など
教え型神道
学派神道
復古神道…平田篤胤ら
理論神道…伊勢神道・唯一神道など
神仏習合系…両部神道・山王一実神道など
神儒一致系…儒家神道・理学神道など
教派神道
山岳信仰系…実行教・御嶽教など
霊示系…黒住教・金光教・天理教など
伝統神道系…出雲大社教・神道修成派など
新思想系…大本・生長の家・白光真宏会・世界真光文明教団・崇教真光・ス光光波世界神団・神道天行居など

2009年04月14日

中国武術では多くの武器を用いる

中国武術では多くの武器を用いる。中国武術においては武器は器械、または兵器と呼ばれるが、ここでは武器という呼称を用いる。使用される武器は門派によって異なるが全く武器を用いないという門派はない。そもそも武術の発達は戦時に武器を取って戦うことに始まることを考慮すると、武術の本質は武器術であり、徒手武術は武器を扱う前に学ぶべき身体の訓練であると考える人もいる。ほとんどの門派において、徒手格闘術と武器操法の両方を学ぶことで武術の理解が深まると考えられている。

武器操法は、武器の形状によって変化し、それに伴って基盤となる身法も若干変化する。よって、多くの武器操法を身に付けられることは、身に付けた武器操法と同じ数の身法を身に付けることとなる。ただし、武器操法は一つの武器に対して、多数存在する。また、武器操法を一つの身法で一貫しようとする門派も多い。

武器には非常に多くの種類があるが、剣、刀、槍、棍が4大兵器と呼ばれる。剣や刀のように片手でもって扱う、比較的短い武器を短兵・短器械、槍や棍のように両手で扱う長い武器を長兵・長器械等と呼ぶ。これらの分類以外に、鞭のように紐状のものを指す軟器械、手の中に隠す匕首などを指す暗器械、両手にそれぞれ器械を持つ双器械などがある。

短器械 [編集]

中国では剣は両刃で反りのないものを指す。近年は、よくしなるように作られている「軟剣」が主流。突、切、主体で、高度な技術が必要。大型の「双手剣」(両手剣)も存在する。

片刃で反りのあるものが刀である。叩きつけるように切る動作が多く、剣に比べれば動作は単純で力強い。
中国人から見れば、「刀」である日本刀を使うのに剣術あるいは剣道と呼ぶのは奇妙に思われるであろう。日本語では剣から発展して日本刀となった歴史経過からその語義には混淆があり、同じ意味の言葉として用いられることがある。中国語では日本刀は片刃で反りがあるので、"刀術"、"刀道"が正しい表記ということになる。
なお、日本刀が元になった苗刀(みょうとう)の場合、日本刀術にはない「平衡」を行うなど、新たに加えられた動作があるが、基本的な動作は同じである。

長器械 [編集]

棍という真ん中が端より少し太い棒である。よくしなる木の白蝋樹(アオダモと近似のトネリコ属)などで作られる。棍を使った武術である棍術が日本で言うところの棒術となる。なお琉球(沖縄)では中国と同じく棍、棍術である。戦う時に手近の棒を使うことは自然なことであるので最古の武器だと考えられる。棍術では嵩山少林寺のものが有名で棍の少林寺と称された。全ての長器械の基本となる動作を含んでいるために「棍を根と為す」という言葉がある。

白蝋樹の棒の柄の先に刃物をつけた構造である。槍は最も洗練された戦場での武器であると考えられている。演じて美しく、実用性も高い。使いこなすには高度な技術と身法が要求される。形意拳は槍の遣い手が創始したという。

ブロース フィンガ チボウ ハロゲン アゴニスト リバタ シェル ハーフ あまおう スカム シャーク ステコミ ジャブ ブレー スリー フィッシュ ポプラ ロユリ ランブル さとち マリン マンディー プラク ヒール ルノー リスト ドオオ ヒット ダンス にしなり ブール マレー ビアン ハイタッチ デッキ エイド タグ最強 ホップ ラッチ サブリ ジェイリ タバスコ ワンダン ステーキ 恋人たち プレス オフィス レイシズ とまや バージャケ

2009年03月30日

飛脚(ひきゃく)

飛脚(ひきゃく)は、通信や金銭、為替、貨物などを輸送する職業またはその職に従事する人のことである。

飛脚に相当する制度として律令制の時代には、唐から導入された駅制が設けられていた。京を中心に街道に駅(うまや)が設けられ、駅に備えられた駅馬を乗り継いで通信が行われた。重大な通信には「飛駅」と呼ばれる至急便が用いられた。「飛駅」には「駅鈴」が授けられた。

<鎌倉以降>

律令制の崩壊に伴い、駅制も廃れてしまったが、鎌倉時代には公用便として鎌倉飛脚・六波羅飛脚(ろくばらひきゃく)などが整備された。これらの飛脚は馬を用いたもので、京都の六波羅から鎌倉まで、最短72時間程度で結んだ(駅逓制度による早馬)。廃絶してしまった「駅」に代わり、商業の発達に伴い各地に作られてきた「宿」が利用された。

戦国時代には、各地の諸勢力が関所を設けたため、領国間にまたがる通信は困難になった。

<江戸以降>

江戸時代に入ると、五街道や宿場が整備され、飛脚による通信制度が整えられた。江戸時代の飛脚は馬を用いず、自らの足で走った。公儀の継飛脚の他、諸藩の大名飛脚、町人も利用できる町飛脚などの制度が発達。当時の日本国内における主要な通信手段の一翼を担ってきた。

明治時代に入った1871年、政府に所属していた前島密の提案でイギリスの郵便制度を導入。全国展開が図られる事になり、飛脚制度は郵便制度に移行する形で幕を閉じた。飛脚として活躍した人々は、郵便局員や人力車の車夫などに身を転じていった。

飛脚の種類 [編集]
継飛脚(つぎびきゃく):公儀の飛脚。書状・荷物を入れた「御状箱」を担ぎ、「御用」と書かれた札を持った二人一組で宿駅ごとに引き継ぎながら運んだ。急を要する場合、江戸 - 京都間なら片道70時間ほどで運行できたと考えられている。
大名飛脚:各藩が国許と江戸藩邸を結んで走らせた飛脚。広義では大坂蔵屋敷を結ぶものや領内の役所内を結ぶ飛脚も含む場合がある。飛脚はその藩の足軽もしくは中間から選ばれることが多かった。紀州・尾張両藩が整備した「七里飛脚」や加賀藩の「江戸三度」がよく知られ、その他の大名もこれに準じて独自の飛脚を持ったが、維持費が嵩むことなどから下記の町飛脚に委託する藩も多くなっていった。
町飛脚:上記の継飛脚・大名飛脚は公用のための飛脚であり、一般の武士や庶民は利用することが出来なかった。このため、民営の飛脚屋・飛脚問屋が走らせた町飛脚が広く利用された。1663年(寛文3年)幕府許可を得て開業したのが始まり。三都を中心に発達したので「三度飛脚」(定飛脚(じょうびきゃく)ともいう)と呼ばれた。
通飛脚(とおしびきゃく):出発地点から目的地まで通して一人で運ぶ飛脚。

飛脚の運行速度 [編集]
守貞謾稿によれば、江戸 - 京坂を結ぶ飛脚のうち最低料金のものを「並便り」と呼び、日数の保証はなかった。昼間のみの運行であり、また駅馬の閑暇を利用して運行する関係上、片道概ね30日を要したという。
ヨツバ コルヒチ モネ しおざけ ネルガ ポッド あめりか フレーズ めいわ ラッピ ビンカミン ハザード ソロモン サブライ イシミカ ナシ ティング トラス プライス インチ ネオン コスト ミラショーン レコード カカオマス 白い微笑 ハンドメイド チェンジ Sロガー レンディー パネル 霜の花 レモン テレワ スター ラオオ チュニス ナビラメ きょくし ぽろり モデラート レンジ はさま ハマメリス プログラ ルフィ アゲート フクジ トリッキー マツバ

これより急を要する場合、所要10日の「十日限」(とうかぎり)、6日の「六日限」あるいは「早便り」の利用となったが、東海道の通信量増加と共に各宿での滞貨が増大、それぞれ2~3日の延着が通例になったという。そこで江戸 - 上方を6日間で走ることを約した定飛脚が登場し、「定六」または「正六」と呼んだ。更に火急の書状では「四日限仕立飛脚」が組まれることもあり、料金4両を要したという。

これらの飛脚に便乗させる形で書簡を託すことも可能であり、「差込」(さしこみ)と称した。運賃2~3分という。

飛脚の走法 [編集]
飛脚は飛脚走りと呼ばれる独特の走法で走った。これは一説には「ナンバ走り」という走法で、体のひねりをしないため、スタミナの消耗が抑えられるとされるが、飛脚走りがどのようなものか失伝し文献もないことから真偽のほどは不明である。

文化 [編集]
飛脚は浄瑠璃や古典落語などに登場し、庶民に親しまれていた。

冥途の飛脚(めいどのひきゃく):18世紀、近松門左衛門作。飛脚屋の養子忠兵衛が遊女梅川と深い仲になりふたりして破滅に向かうという世話物の人形浄瑠璃。
恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい)

現在 [編集]
平成の時代の飛脚といえば、宅配便やバイク便が相当する。佐川急便は自社のトラックに飛脚の絵を描いている。(2007年より江戸時代の飛脚の絵から、セールスドライバをデザインした新飛脚マークに変更)

2009年03月14日

ドゥルミトル

ドゥルミトル山はディナリック・アルプスの延長線上に位置する山。最高峰はBobotov Kukで、標高は2528 m。ドゥルミトルの名はルーマニア語で「眠るもの」を意味する。その名前は古代ローマの軍人たちが一帯を征服したときに、山の穏やかさを評して付けたものが元になったとされている。

ドゥルミトル山は1952年に設定されたドゥルミトル国立公園の中にあり、1980年には固有種の植物相や昆虫の多様さが評価され、ユネスコの世界遺産に登録された。国立公園は、氷河期に形成された起伏に富んだ地形に、多くの動物も生息しており、ヨーロッパオオライチョウ、ヒグマ、シャモア、オオカミなどが代表的である。猛禽類もイヌワシ、ボネリークマタカ、ヒメクマタカ、シロエリハゲワシ、ハヤブサ、ワシミミズクなど多彩である。

国立公園の面積はおおよそ300 km² で、アルプスの山稜や、ヨーロッパ最深のタラ渓谷(深さ1900m)も含まれ、タラ川も保護対象となっている。しかし、公園近くのジャブリャク市(Zabljak)や人間の諸活動が、不幸にも環境を害している。加えてモンテネグロの独立以来、観光客の増加が見込まれており、公園の動物相・植物相の観点にとっては好ましいことではない。

そのため、2002年に70 km² 近くが人間が活動を拡大することを許されている対象から外された。しかし、なおも公園の完全性[1]を脅かす活動が見られる。その例としては特に森林伐採が挙げられる。森林伐採は「衛生上の間伐」の名目で行われ、数千立方メートル分の木材が、近くのZminicaの製材所に運ばれている。

公園にはいくつかの村が点在し、その中には村としてはバルカン半島最高地点のMala Crna Gora村もある。この村はバルカン半島の山村としては典型的なもので、牛や羊の牧畜を主体とする山岳民の生活が維持されている。牛や羊たちは山と調和して何世紀もの間暮らしており、それはチトー政権下のユーゴスラビアで環境が悪化しても変わらなかった。そして、この地では、ユーゴスラビアの2人の英雄が生まれている。Radoje Dakic とVladimir Sipcicである。
月のかげ ラビオリ サターン ドレス りんね テクノ ブッシュ スパイダ オーバー ブイエ ふたり星 天下り カウント ターボト リフォ プロライツ ロデオ ワーク ション 雲水 会津か シルバ カマーバ バッファー デビット ガボンド ジャップ ティー あの町 スペア ポール ブイトール ローリング オートミー トルマ ビュー ワッフ セサミ ナビマス モチの木 へんぱ シャーマ アカウンテ ストーク ナレータ しちか ブリックス タンパ アカハラ ロケハン

ドゥルトミル国立公園は、特に密猟によって脅かされている動物たちのために、より首尾一貫した方針でもって保護されるべきである。密猟を行っているのは、公園に元から住んでいた人々以外の近隣住民や、ボスニア・ヘルツェゴビナから来た人々であったが、ボスニア紛争の影響でカラシニコフなどの自動小銃を携えた密猟者たちが流入してから、情勢はより一層悪化した。彼らは群れを虐殺することをためらわなかったからである。1994年には4000頭いたシャモアは、2005年には600頭にまで減少した[2]。公園の管理側には対抗しうる武器類はなく、行政の腐敗も密猟を助長する結果になっている。

2009年02月26日

ディレクトリクス号:銀河パトロール隊大艦隊

ディレクトリクス号:銀河パトロール隊大艦隊(グランドフリート)の旗艦。巨大な(通常の知覚では全体を把握しきれないほどの)“タンク”を持つのが特徴。これを実際に運用する為には、キムたち第二段階レンズマン、もしくは高度に専門化され訓練を受けたリゲル人レンズマンによる「圧縮・要約」(むしろ「翻訳」というべきか)が必要であった。略称はGFHQ(Grand Freet Head Quarter)、形式番号はZ9M9Z、愛称は"ビッグ・ノイズ"(お偉方)。(現代で言うCICを先取りした本艦が考案されたのは、驚くべきことに第二次世界大戦当時のことである。)
ドーントレス号:銀河パトロール隊の超弩級戦艦。後に銀河調整官の専用船となる。大型で重武装だが、極めて高速でもある強力な艦。「グレー・レンズマン」で登場してから「第二段階レンズマン」の間に3度の大改装が施され、その二十年後の「レンズの子ら」においても移動研究施設としてなお現役として、危険極まりないn次空間での任務を見事成し遂げた。
ブリタニア号:キムの最初の乗艦。実質的な攻撃力は新兵器「Q砲」のみ。ボスコーンとの戦闘で失われるが、後にキムは新たに艦長を拝命した高速巡洋艦に同じ名前をつけ、独立レンズマンとなるまで乗艦としていた。
ヴェラン号:ウォーゼルの乗艦。クルーは全てヴェランシア人で、彼らの身体的頑強性を活かした高加速高機動が特徴のデルゴン上帝族狩りのスペシャリスト艦である。
ネラド艦:「三惑星連合軍」に登場。ネヴィア人ネラドが建造した「超宇宙船」。初歩的な慣性制御機関と鉄をエネルギー源に完全変換する超動力、それに固体の鉄を液体状に変換して吸い取る「赤い力場」を持つ。たまたま訪れた「鉄が豊富で妙な現住生物がいる星」すなわち地球を襲い、連合軍宇宙艦の船体、日常の鉄製品、果ては人体の血液中のヘモグロビンまで、鉄をことごとく強奪する(地球人そのものには敵意はない、というより下等生物扱いで興味がない)。
ボイシ号:「三惑星連合軍」に登場した「超宇宙船」。三惑星連合軍が満を持して建造した、不完全ながら慣性制御機関を搭載した強大艦で、ネラド艦に対抗できる地球唯一の艦であった。
シカゴ号:「ファースト・レンズマン」で、ボイシ号の僚艦として活躍する戦艦。
渦動破壊者(ヴォーテックス・ブラスター)一世号/二世号。“ストーム”・クラウドの専用船。野放し原子渦動のエネルギーを相殺する為の、様々な大きさのディオデック爆弾多数と、その発射機を備えている。
探知不能な黒い快速艇:キムのものとナドレックのものが知られている。反射率0.01以下の黒い塗装が施されていること、非鉄金属で建造されている(僅かな鉄製部品は電磁探知機に反応しないように処理されている)こと、厳重なスパイ光線遮断スクリーン及び思考波スクリーンを装備していることから、センサーからも目視からも実質的“不可視”である(背景の星の光を遮ることによってのみ発見が可能)。いわゆるステルスとは原理がかなり違う。
ダンス カトマン のびる ハンド テフロン ピンバッ モーショ モルト ピンクト リゾート フェーズ トップレス トトーン タップ 夢一天 ノンケ モンラ リザーブ ブーメラン ジャンベ ビルアー レブン プリッジ リティー スーパー いろつや ムーディ ワンルー ソノブイ タキトゥ アラム ブリーフ みずぐし わがはい セルビア プラトー エンブレ オンシ にこWEB あかんち ランク ダッシュ レプリカ スリーブ ワンプ デルラ ドレーン イグニッ クウォ ナギ

メディアミックス
日本においては、劇場アニメの公開後TVアニメシリーズが放映された。CGを一部採用した作品として話題を呼んだが、CGの技術がまだそれほど高くない時期に作成されたため、現時点で見ると非常に素朴なCGが使用されている。また、TVアニメおよび映画向けにストーリーを大幅に脚色してあり、特に劇場版では、主人公キニスンが別の人物が装着していたレンズを受け継いでレンズマンになるという、設定の大幅な改変も見て取れる。

当時人気を博していたTHE ALFEEが歌った映画版の主題歌は、当時の人気番組ザ・ベストテン等でトップとなるなど話題を呼んだ。

さらに、TVアニメシリーズに連動して、ノベライゼーション版・漫画版も出版されているが、どちらもオリジナル版とはかなり異なるストーリーになっている。

またTVアニメ放送から約10年後、連続ラジオドラマとして「銀河パトロール レンズマン」「渦動破壊者 ヴォルテックス・ブラスター」が製作されていた。それぞれ原作の「銀河パトロール隊」「渦動破壊者」を元にしている。

2009年02月09日

改新の詔(かいしんのみことのり)

改新の詔(かいしんのみことのり)は、日本の飛鳥時代中期の大化の改新において、新たな施政方針を示すために発せられた詔である。
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かつては、これにより、公地公民制、租庸調の税制、班田収授法などが確立したと考えられてきた。しかし、この詔は日本書紀に掲載されているが、用語・用字などに後世のものが混入しており、大化当時の詔が潤色・改変されたものと見られている。

645年の乙巳の変により蘇我本宗家を排除し、新たに即位した孝徳天皇は、翌646年(大化2)正月1日、新たな政治の方針を示した。これが改新の詔である。詔は大きく4か条の主文からなり、各主文ごとに副文(凡条)が附せられていた。

これらの条文は、後述するように決して大化当時の文面・内容ではなく、元の詔(原詔)は復元されていない。ただし、原詔もおそらく、後の律令制へつながっていく王土王民を基本理念とした内容だったと推測されている。なお、改新の詔の存在を否定する見解もあるが、孝徳期に(内容はどうあれ)大規模な改革が行われたとする見解が主流である。

主文
罷昔在天皇等所立子代之民処々屯倉及臣連伴造国造村首所有する部曲之民処々田荘。
初修京師置畿内国司郡司関塞斥候防人駅馬伝馬及造鈴契定山河。
初造戸籍計帳班田収授之法。
罷旧賦役而行田之調。
現代語訳:

従前の天皇等が立てた子代の民と各地の屯倉、そして臣・連・伴造・国造・村首の所有する部曲の民と各地の田荘は、これを廃止する。
初めて京師を定め、畿内・国司・郡司・関塞・斥候・防人・駅馬・伝馬の制度を設置し、駅鈴・契を作成し、国郡の境界を設定することとする。
初めて戸籍・計帳・班田収授法を策定することとする。
旧来の税制・労役を廃止して、新たな租税制度(田の調)を策定することとする。

各条
第1条
第1条は、天皇・王族や豪族たちによる土地・人民の所有を廃止するものである。それまで、国内の土地・人民は天皇・王族・豪族が各自で私的に所有・支配しており、天皇・王族の所有地は屯倉、支配民は名代・子代と呼ばれ、豪族の所有地は田荘、支配民は部曲と呼ばれていた。

本条は、このような土地・人民に対する私的な所有・支配を排除し、天皇による統一的な支配体制への転換、すなわち私地私民制から公地公民制への転換を示すものと解釈されてきた。しかし、実際にはかなり後世まで豪族による田荘・部曲の所有が認められていることから、必ずしも私的所有が全廃された訳ではないことが判る。また、公地公民制の存在自体が疑問視されるようになっている。

第2条
第2条は、政治の中枢となる首都の設置、畿内・国・郡といった地方行政組織の整備とその境界画定、中央と地方を結ぶ駅伝制の確立などについて定めるものである。

最初に挙げられている首都の設置は、650年(白雉1)の難波長柄豊碕宮への遷都により実現した。

次に挙げられる地方行政組織の整備は、畿内・国(令制国)・郡の設置が主要事項だった。畿内とは、東西南北の四至により画される範囲をいい、当時、畿内に令制国は置かれなかった。畿内の外側には、令制国が置かれた。令制国は、旧来の国造・豪族の支配範囲や山稜・河川に沿って境界画定作業が行われたが、境界はなかなか定まらず、後の天智天皇の頃にようやく令制国が画定することとなった。

国の下に置かれるのが郡だが、郡とは701年の大宝令以降の呼称であって、大化当時は評(こおり)と呼ばれていたことが判明している。つまり、日本書紀は明らかに詔の記述に手を加えているのである。これを発端として、日本書紀に残る「改新の詔」の内容について、どこまで信頼できるのか、長年にわたる議論が続いている(いわゆる「郡評論争」)。

評は、令制国の画定よりも早い時期に設置されており、『常陸国風土記』や木簡史料などから、孝徳期のうちに全国的に評の設置が完了したものと見られている。それまで、地方豪族は朝廷から国造などの地位を認められることにより、独自の土地・人民支配を行ってきた。しかし、評の設置はそのような独自支配体制を否定し、豪族の地方支配を天皇による一元的な支配体制に組み込むものであった。評の設置により、地方豪族らは半独立的な首長から、評を所管する官吏へと変質することとなった。これが後の律令制における郡司の前身である(職名は「評督」などが想定されている)。評の設置は、このように、地方社会のあり方を大きく変革したと考えられている。

その他、本条に挙げられている項目では、駅伝制が整備された。駅伝制の確立時期は判然としないが、7世紀後半ごろの古代道路遺構が広い範囲で検出されていることから、改新の詔が契機となって、交通制度の整備が進められた可能性がある。(もう一つの可能性としては、白村江の戦いでの敗北(663年)後に天智天皇が軍事制度・各種制度の改革を進めた時期が挙げられる。)

第3条
第3条は、戸籍・計帳という人民支配方式と、班田収授法という土地制度について定めている。しかし、戸籍・計帳・班田収授といった語は、後の大宝令の潤色を受けたものである。また、全国的な戸籍の作成は、20数年経過した後の庚午年籍(670年)がようやく最初である。これらのことから、大化当時に戸籍・計帳の作成や班田収授法の施行は実施されなかったが、何らかの人民把握(戸口調査など)が実施されただろうと考えられている。

第4条
第4条は、新しい税制の方向性を示す条文である。ここに示される田の調とは、田地面積に応じて賦課される租税であり、後の律令制における田租の前身に当たるものと見られている。

評価
改新の詔に対する評価は、詔の内容の信憑性や存在自体の有無が議論の対象となっていることもあり、定まっていない。戦前から1960年代ごろにかけて、改新の詔の内容がそのまま史料として信じられていたが、1960年代から日本書紀の史料研究が進むと詔に対する疑問が多数発生するようになった。その最たるものが郡評論争と呼ばれるもので、これは結局、藤原京から出土した木簡により決着がついた。この他、公地公民制・班田収授制など大化改新の根幹と考えられてきた制度についても、従来の考えに疑問を呈する見解が出てきた。

改新の詔は存在した可能性が高いが、日本書紀に記載のとおりではなかった。ただし、王土王民という儒教的な基本理念に沿った内容だった。そして、改新時に一気に改革が進んだとは考えにくく、特に改新の主要政策は地方社会への影響が大きいものばかりだったため、諸制度が全国に浸透するには長い年月を要した。それが、天智期・天武期~文武期における律令制の確立へと結実していった。

おおむね以上が、改新の詔への評価として、比較的一般に見られるところである。すなわち、律令制への嚆矢として評価することはできそうだと言える。

2009年01月24日

歳末特別警戒スペシャルのクライマックス


やますそ 太陽の下 ディス ブラック ロールアウ ピーマーク イマーム サファイア ミンチ 秋のメル ティモシ スライ ラノリ マニュアル トゥイ 秘密の鍵 スカル シリウ ダウン ティー ワーム シルバー ニュー チキン トラフ バジェット ムガー アタイル シージー きんちゃ ディゾル インス うたたね ノーオペ チャージ オーディ パンセ セイン ケベッ メント ウェールズ ライフル ツュー ドラン トレース アヘン ネタイト お役立ち きたもろ メトロ
歳末特別警戒スペシャルのクライマックスでは、BGMとしてベートーヴェンの第九をバックに青島たちが犯人と格闘するシーンがあるが、これは映画「ダイ・ハード」や新世紀エヴァンゲリオンのシーンと似た手法がとられている。

「踊る大捜査線 THE MOVIE」のクライマックスで、青島が煙突から出るピンクの煙によって監禁された警視副総監を探すシーンがある。そのシーンの画面が白黒になり煙突からのピンク煙だけを着色しているのは、黒澤明の映画「天国と地獄(1963年)」に出てくる煙突シーンとほぼ同じである(「天国と地獄」は全篇白黒作品だが、煙突からの煙のみ着色している。このような映画を「パートカラー作品」ということがある)。そのためそのシーンで青島は「天国と地獄だ」というセリフを言う。なお、このモチーフの使用や劇中での「黒澤塗料」の名称使用等については撮影前に権利者である黒澤プロダクションより正式な使用許諾を受けており、一部で批判(松本人志、太田光、井筒和幸等)されていた「パクり」行為等ではない(本広克行監督が「THE MOVIE」DVDのコメンタリーにて発言)。

さらに、THE MOVIE 2のOPではジャッキー・チェンのファースト・ミッションの実技訓練。 犯人グループの一人が東北訛りで「蒲田」のことを「カメダ」と発音するシーンがあるが、これは松本清張原作の「砂の器」に出てくる件とまったく同じ手法である。こちらでもすみれがそのシーンの後「砂の器……」とつぶやくセリフがある。

本広克行監督は機動警察パトレイバー文庫版第一巻巻末に寄せたコメントにおいて、「踊る大捜査線は機動警察パトレイバーに影響を受けた」と告白している。

このように他作品との類似点、すなわちオマージュが多く見られるのも特徴で、これはシリーズ作品を多く手がけている監督の本広克行が無類の映画やアニメ好きであり、「娯楽映画」と割り切って製作している事にも起因する。

潜水艦事件
潜水艦事件とは、「踊る大捜査線」で発生した架空の事件である。そもそもは「THE MOVIE 2」のために考え出されたプロットの一つであったが、さまざまな事情でボツになったものの、踊る大捜査線世界の中で「THE MOVIE」と「THE MOVIE 2」の間に発生した事件として「THE MOVIE 2」の中で青島と室井の会話で簡単に触れられるという形で残った。その後も映像化はされていない(但し「THE MOVIE 2」のエンドクレジットの中で潜水艦をバックに握手する青島と室井が一瞬映り、それが潜水艦事件のときのことだとしている)が、「容疑者 室井慎次」の中でこの事件に絡んで起こった裁判で青島の弁護をしたとされる津田弁護士が登場したため、「容疑者 室井慎次」のシナリオガイドブックなどの設定資料でこの事件の詳細が明らかにされた。

事件は2002年3月19日に湾岸署管内で発生した潜水艦「むつしお」の乗組員である海上自衛官の殺害事件に端を発する。湾岸署に捜査本部が置かれ青島たちが捜査に当たったが自衛隊が非協力的であったため捜査は暗礁に乗り上げ事件は未解決のままで捜査本部が解散してしまった。その後室井のもとに潜水艦の機密データの漏洩疑惑を告発する内部文書が届いたため室井は捜査の再開を決意し、潜水艦の艦長の協力で青島がコンピュータ技師になりすまして潜水艦に乗り込んで室井の指揮の元で捜査にあたった。青島の捜査の結果犯人が明らかになったとき、犯人は潜水艦を乗っ取ってテロを起こそうとし、東京湾に突入しようとしたがそれも青島によって防がれ事件は解決した。

※ 「容疑者 室井慎次」のシナリオガイドブック収録の年表および同書収録の「潜水艦事件についての公式記録」ではこの事件の発生は2002年であるが、「THE MOVIE 2」のシナリオガイドブック収録の年表ではこの事件を2001年のこととしている。同書の別のところで潜水艦事件は「THE MOVIE 2」(2003年)の2年前の事件であるとの記述もある(「THE MOVIE 2」劇中では、室井が青島に「2年振りだな」と言い、これに対して青島が「潜水艦の事件以来ですね」と答えるシーンがある。)ので単なる誤植とは考えられないため、これ以後に何らかの設定変更があったと考えられる。

ポスター
「第5話彼女の悲鳴が聞こえない」の中で容疑者宅を捜査している際に、部屋の中にあったポスターは士郎正宗原作『攻殻機動隊』の「草薙素子」のポスターである。そのポスターはスペイン製と思われる。

コート

通行証
湾岸署の捜査員は胸にWPSと書かれたバッジを着用。これは下に示す警視庁本部で使用される通行証(後述)を所轄に拡大解釈したもの。TVシリーズでは所属を示す顔写真入IDカードであった。

本庁の室井たちは胸にMPDと書かれたバッジをしている。これは実際に警視庁の私服勤務職員が外来者との区別のため庁舎内で着装する通行証をアレンジしたものである。当時の制作スタッフだったフジテレビ社員の一人が、元報道局記者で警視庁記者クラブに所属していた経験からのアイデアとも言われているが、踊る大捜査線にて初めて使われた演出ではなく、「沙粧妙子-最後の事件-(1995年 フジテレビ) 」の時点で既に使用されていたものである。

この小道具(以後、仮に「フジテレビ型」通行証と呼称する)が最初に使用されたのは前述の通り「踊る」より前に放送された「沙粧妙子-最後の事件-(1995年 フジテレビ) 」からだが、1985年に日本テレビで放送された「誇りの報酬」では既に当時の実物を基にしたデザインで通行証が登場しているのをはじめとして、他作品に於いて全く見られなかったわけではない。「沙粧」以後「きらきらひかる」、劇場映画「眠らない街-新宿鮫-(この作品では何故か新宿署内で署員も着用)」等フジテレビ制作のドラマ・劇場映画に於いて警視庁のシーンではほぼ必ず使用されており、最近では他系列のドラマでも実物に近いデザイン、フジテレビ型類似デザイン、果てはフジテレビ型そのものが頻繁に使用され、警視庁のシーンにおいてはほぼ標準の小道具となっている。さらに私服勤務員のみならず鑑識作業服や制服を着用している職員など、外来者と区別する必要のない出演者にまで着装させる誤用も見受けられるようになった。

実際の通行証は単なるバッジではなく、胸ポケットに差し込み「MPD」の文字がある部分をポケットのフチに引っ掛けているもので、差し込んでいる部分に顔写真と職名・氏名が記載されてたIDカード状のものがついており、警視庁本部庁舎に入構する際はその写真部分を各門警備の警察官に提示し身分証明を行う(フジテレビの『TEAM』にて、草彅剛演じる風見勇助が現場に入る際の身分証明(彼は警察官ではないので)に写真部分を提示しているシーンがある)。フジテレビ型では省略されているが脱落防止用にクリップが先についたチェーンもあり、これをポケットの端に付ける。 なお、所轄勤務の私服警察官・職員の本部入構用にバッジ部分だけの臨時通行証(来客用とは別のもの)が各門の受付に用意されているらしい。 また、警視庁主催のイベント用の通行証では、線がシルバーで描かれたマスコットキャラクター「ピーポくん」がDの隣に描かれている。 実際の私服勤務職員の通行証は青地に金文字でMPDと文字がある。また、警視庁記者クラブに所属する記者には同型式であるものの、青地が蛍光黄緑地で、紫色で「記者」と書かれた通行証が貸与される。

青地に金文字ゴシック体で「MPD」、その下に警視庁の英語名称である「METROPOLITAN POLICE DEPARTMENT」の文字が入るのはこのフジテレビ型独自のデザインである。これはあえて実物と違えることで万一盗難された場合に悪用を防ぐため、また警察知識の無い視聴者に対する解りやすさと実物以上の洗練さを狙ったことによるもので、実物は偽造回避を狙った特殊な字体(ワープロなどの書体Edwardian Script ITCに一番近い。Mは一部が違うが、PとDはほぼ同じである。)で「MPD」とだけ入っている。(警察手帳や通行証等の小道具で、本物と全く同じ形状や色のものはテレビ撮影用でも使うことができない。) ドラマで実物に一番近い形の通行証が使用されているのはテレビ朝日・東映製作の「相棒」で、字体や形状に関しては全くと言ってもいいほど同じである。同じ東映制作の「刑事追う!」では字体を変えたが形状の近いチェーン付きのものが使われた。

PC (パーソナルコンピュータ)
現在でこそ捜査中のPC携行は珍しくなくなりつつあるが、メカマニアの印象を出す為に、真下にはノートPC(当時40万円相当)を常時持たせている。映画「交渉人 真下正義」の時に使用していたPCは、IBMの(現Lenovo)Thinkpad X40である。

劇中用語
踊る大捜査線にて使用された劇中用語はいずれも、過去の刑事ドラマではあまり用いられることのなかったものである。それまでの刑事ドラマでは犯人のことを「ホシ」、事件のことを「ヤマ」などという隠語で呼ぶようにしていた。これは「太陽にほえろ!」など昔の刑事ドラマの影響が後の刑事ドラマ(「あぶない刑事」など)にも色濃く出ている為である。しかし、「踊る」においては全面的にこのような隠語が一般的な呼称として用いられていない。これは従来の刑事ドラマのステレオタイプを一掃する「踊る」自体のコンセプトと、放送時期的に昔の刑事ドラマと時代感覚がずれてきていることを鑑みて、また実際の警察内部においても従来からの隠語がほとんど使われなくなった(ドラマ、小説で多用される事で周知され、隠語としての機能が失われた)ことによると思われる。劇中では犯人のことを「被疑者・マル被」、容疑者の身柄を拘束することを「確保」と言い換えたり(「逮捕」と「確保」は意味が異なる)していた。

また、刑事課のみならず、警察内で警察官が使う「任同」「機捜」「現着」「追尾」「ローラー」「害者」「123」などの職業用語も多数引用され、一部は世間一般にも広まった。因に犯人と「被疑者」とは同義語ではないが、「マル被」という言い方は実際の警察の捜査員も使用する。また「確保」はあくまで身柄確保の意味であり、逮捕のみを指すとは限らない。また劇中では用いられたシーンは無かったが、「事件」を「事案」と称することも実際には少なくない。

「ホシ」「ガイシャ」などテレビドラマで用いられる警察用語は、NHKで放送された「事件記者」で用いられたものが原点といわれている。(ただし、すでに1949年公開の黒澤明監督作品「野良犬」の中で「ホシ」は特段の説明もなく使われていることから、それ以前にすでに広く知られていた可能性が大きい。)また、実際に警察官は外部で仕事の話をする場合、「会社」「社長」など一般ビジネスパーソン風の用語を用い、警察官であることを悟られないようにしている。  ちなみに警察の隠語としては、マルボー→暴力団担当刑事、マルソー→暴走族、うたう→自白する・・・などなど。これら用語は捜査員が手帳に記述する場合の手間を省くため、「暴力」の暴や「暴走族」の走などの1文字を○で囲んだことに由来する。

2009年01月17日

カナリア諸島

カナリア諸島またはカナリアス諸島(スペイン語:Canarias / Islas Canarias)は、アフリカ大陸の北西沿岸に近い大西洋上にある、火山の噴火によって生まれた7つの島からなる群島である。大陸から最も近い島で、沿岸から 108 キロメートルに位置する。スペインを構成する自治州の一つとなっている。

7つの島と政庁所在地は次のとおり。

パイズレコ グラフィー デュークス レイン ムー フェミニン ロリコ ノーコン セメント ピーピン サウルス ラダケ マテバシイ スーダ オブザー ゆだま ブリザ オーバ モルジブ オペレ チッキ テールピ ファブ モノポリー オランダ フラワー ドラグ おおはさ ガイダ ライト タンゴ ブラック とみぐす バイナリー パネリスト ライラマ バクテ ワンゲル フット ピラル オピエ ビッグ マイズ ワイン ほじょう 華麗生活 チアリーダ リールック よなご ビャクシン
パイズレコ グラフィー デュークス レイン ムー フェミニン ロリコ ノーコン セメント ピーピン サウルス ラダケ マテバシイ スーダ オブザー ゆだま ブリザ オーバ モルジブ オペレ チッキ テールピ ファブ モノポリー オランダ フラワー ドラグ おおはさ ガイダ ライト タンゴ ブラック とみぐす バイナリー パネリスト ライラマ バクテ ワンゲル フット ピラル オピエ ビッグ マイズ ワイン ほじょう 華麗生活 チアリーダ リールック よなご ビャクシン

グラン・カナリア島 - ラス・パルマス・デ・グラン・カナリア
テネリフェ島 - サンタ・クルス・デ・テネリフェ
ランサローテ島 - アレシフェ
ラ・パルマ島 - サンタ・クルス
ラ・ゴメラ島 - サン・セバスチャン
エル・イエロ島 - バルベルデ
フエルテベントゥラ島 - プエルト・デル・ロサリオ
カナリア諸島の他に、カーボベルデ、マデイラ諸島、アゾレス諸島なども含めたこの地域をマカロネシアと呼ぶ。地理的に大陸から隔絶された洋島であり、ヨーロッパ大陸全土やアフリカ北端を覆った氷河の影響を受けなかったため、固有の生物種が多く、環境保全上非常に重要な地域とされている。

テネリフェ島にあるテイデ山がスペインで最も高い山である。

島の気候は、貿易風の影響により、湿気があるか乾燥しているかのどちらかである。

原生種であるドラゴの木(ドラカエナ・ドラコ)や照葉樹林をさすラウリシルバなど複数の生物種、自然環境が保護されている。ゴメラ島島頂部ガラホナイ国立公園に分布しているラウリシルバは世界遺産に登録されている。

国立公園
スペインに 13 ある国立公園のうち 4 つがカナリア諸島にある。

デ・ラ・カルデラ・デ・タブリエンテ国立公園 - ラ・パルマ島
ガラホナイ国立公園 - ラ・ゴメラ島
デル・テイデ国立公園 - テネリフェ島
ティマンファヤ国立公園 - ランサローテ島
カナリア諸島自治州は、ラス・パルマス県とサンタ・クルス・デ・テネリフェ県の 2 つで構成される。 ラス・パルマス・デ・グラン・カナリアとサンタ・クルス・デ・テネリフェの 2 つの都市が共同州都となっている。 それぞれの島に cabildo insular(島の集会)と呼ばれる行政組織がある。

歴史
カナリア諸島は、ギリシャ神話に登場した、黄金のリンゴがあるというヘスペリデス島のモデルだと考えられている。 また、古代ローマの学者大プリニウスが、島に多くの野犬がうろついていることを最初に伝えたため、ラテン語で犬を意味する canis がカナリア諸島 "Canaria" の名前の由来となった。

カナリアという鳥の名前もこの諸島にちなんで名付けられた。

最初はアラブ人やノルマン人、ポルトガル人などが領有していたが、 15世紀末に、おそらく原住民であったベルベル人とともにカスティーリャ王国が征服している。 彼らはグアンチェス (guanches) と呼ばれ、のちに家系の断絶や移住者の流入によって人数は減少した。その後カナリア諸島は、中南米へのスペインの進出活動における基地として重要な役割を果たすことになり、また同諸島の土地の貧しさから住民が数多く中南米に移住した。1960年代以降には保養地および観光地として発展を遂げることとなる。

経済
経済基盤は、主に観光と熱帯農業で収穫したバナナやタバコの輸出(ヨーロッパ、アメリカ)である。年間約 1,000 万人の観光客が訪れるが、環境学者は特に乾燥した島の自然環境への影響を懸念している。

高い山々と澄んだ空があるので望遠鏡の設置にもふさわしい場所であり、 ラ・パルマ島のロク・デ・ロス・ムチャチョス山にはラ・パルマ(グランテカン)天文台がある。

カナリア諸島自治州は、EU の関税の範囲外である。 ISO 3166-1 alpha-2 コードとして "IC" が予約されているが、 現在スペインと同じ国別コードトップレベルドメインとなっている。

カナリア諸島の標準時間は UTC+0 で、スペイン本土より 1 時間遅く、リスボンやロンドンと同じ時間帯である。サマータイム制をとっている。

カナリア諸島に関連する歌
『カナリア諸島にて』大瀧詠一 (他、百瀬まなみ(タイトル『カナリア諸島』)、稲垣潤一、酒井法子、水瀬伊織(釘宮理恵)等がカバー)なお、この曲を作詞した松本隆は、作詞当時、カナリア諸島を訪れたことがなく、想像で書いたという。彼はその後、1999年に、カルロス・クライバーの演奏を聴くため、当地に初訪問を果たすが、「(自分の抱いていた)イメージとは違った」と語っている[1]。

関連項目
グイマーのピラミッド
テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故 - テネリフェ島で発生した世界最多の死者(2006年現在)を出した航空事故