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サットンが提唱した染色体説がそのまま

サットンが提唱した染色体説がそのまま受け入れられたわけではないが、遺伝学的研究により、その内容は正しいと認められた。しかしその後、遺伝子の実体に関する探究は研究手法などの限界もあり、しばらく下火となる。モーガンはノーベル賞受賞講演において遺伝子の物理的実体にはあまり関心が払われていないことを指摘している。

遺伝子の実体が DNA であることが明らかにされるには、生化学や構造生物学の発展を要し、さらに10年ほどが経過する。またその間、分子生物学発展の駆動力となったファージの遺伝学でも染色体説に基づいた研究が行われた。生化学的、分子遺伝学的研究から染色体は DNA とタンパク質から成っていることがわかり、その後、生化学的、分子生物学、生物物理学的に遺伝子の物理的実体が DNA であることが明らかにされた。
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現在の生物学・医学では染色体説は当然の前提として扱われ、遺伝学の基礎として教えられるが、実際の研究においては科学史的な観点以外では意識されない。

年表 [編集]
1842年: カール・ネーゲリが染色体を発見。
1865年: グレゴール・ヨハン・メンデルによる遺伝の法則の発表。
1892年: ヴァイスマンが生殖質説を提唱。
1898年: ウォルター・S・サットンが修士課程の学生としてマクラング(カンザス大学)の研究室へ。
1900年: サットンがウィルソン(コロンビア大学)の研究室へ。
1900年: ド・フリース、チェルマク、コレンスらによるメンデルの法則の再発見。
1901年: マクラングがバッタで性染色体を報告。
1902年: サットンがバッタの減数分裂における染色体の挙動を報告、ここから遺伝の染色体説を提唱。
1903年: サットンはさらにこの説を明確に主張する論文を発表。
1904年: モーガンがコロンビア大学へ。
1905年: ネティ・スティーヴンズが甲虫コクヌストモドキで性染色体を報告。ウィルソンもハエやバッタで確認。
1906年: ベイトソンによって遺伝学 Genetics という言葉が作られる。
1908年: スティーヴンズがショウジョウバエでX染色体を確認。
1909年: ヨハンセンによって遺伝子(独: Gen, 英: Gene)という言葉が作られる。
1910年: モーガンの研究室でショウジョウバエの最初の突然変異体 white が発見される。
1910-20年代: ショウジョウバエ遺伝学による実証。
1914年: ボヴェリが「発癌の染色体説」を提唱。
1933年: ペインターが双翅目昆虫の唾液腺で多糸染色体を発見。
1933年: モーガンがノーベル生理学・医学賞を受賞。

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2009年06月19日 06:46に投稿されたエントリーのページです。

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