集合的な連帯感はほかのさまざまな社会的団体、家族や結社、商業組織に存在しうるもので、nationに限定されるものではない。主観的な意識は最低限の条件なのである。
解決の鍵はこうした主観的な要素が客観的な基礎の上に構築されると認識することである。現実の生活においては、nationのメンバーは、自分が集合的な連帯感によって繋がれて、ひとつの団体をなしているとはみなしていない。反対に、いくつかのそれ以外の要素を列挙する。共通の文化、祖先、歴史、政治制度、あるいは特定の地域への帰属意識などである。こうしたものによって彼らはひとつに結合されているのである。
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「nationとはイメージとして想像された政治共同体である――そしてそれは、本来的に限定され、かつ主権的なものとして想像される」
アンダースンによればnationは一種の人工物[15]であり、一個の「想像された政治的な共同体」である。しかし、このことは、nationが「虚偽の」存在であることを意味しない。採用すべき戦略は、想像の様式、及びこの想像を可能にした制度を用いて、この二つの点でのnationの特殊性を理解することなのである。